日々のこと



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JB


JBという歴史的人物が亡くなった。またひとつの時代が締めくくられた。我が家ではずっと追悼の意味を込めJBをエンドレスに聴きながら、娘ちゃん、夫、私で踊りくるいました。

2006/12/26


クリスマスの夜に思うこと


医者は患者さんの治る能力を助けているのであり、治してあげているわけではない。風邪ですら特効薬というものは無く、症状を和らげる対症療法で自然治癒の過程を助けるのみである。それにしても、人間の体には「自分の体を生かす」ためのあらゆる能力が潜在していてるのだなぁと、日々医療に携わりながら驚く。もしかしたら、ある人が「死にたい」と思ったときに、そう思っているのは体の臓器の一部である脳の、また一部分である「意識」という領域がそう思っているのであり、実は無意識を含む体のその他ほとんどの部分は「生きたい」と思っているのかも知れないと思うと、「死」という選択肢を選んでしまうことは、本当に自分という全存在が望んでいるのかどうか疑問に思えてくる。
たとえば、けがをしたとき、自分の体は血を流し、傷を治すための反応が傷口ではひたすらに行われる。そういう自分の体を「生かすため」の反応のしくみは、現在人間には全て解明することができないでいる神秘的なものだ。とてもいとおしいことだと思う。だから、そんな神秘をたくさん抱えている自分を、もっといとおしんで、大切にしてもいいのだと思う。

2006/12/24


うたうときに思うこと


CDなどの形で録音するために歌をうたうことと、ライブという形で生で大勢の人を前に歌をうたうことには、同じ歌でも大きな違いがある。今日は、いつもレコーディングのときに歌について思うことを少し書きます。

「はい、これから録音しますよ。どうぞ。」という感じで、狭い密室の中、小さな鼻息も録音されてしまうような性能の良いマイクの前で録音は始まる。まずは、「レコーディングする」というプレッシャーや緊張から心身をコントロールすることから始まる。歌の内容は大地や、自然や、大空や、愛や、恋、などなどあらゆる内容であっても、場所は都会の密室。「はい、どうぞ」の一声で、頭の中に瞬時に歌の内容の世界を思い浮かべ、心をその世界に集中させるようにしつつも、同時に声を正確にコントロールするという冷静さを持つようにする。また、歌の盛り上がりにつられて、気持ちは決して高揚しすぎることなく、しかし冷めることなく、意識が覚めている状態に持って行く。声を出すために体は決して力まず、最大限脱力させる。というように、静と動が同時に存在するような状態が歌うという行為にはある。とてもエネルギーが必要な作業ではあるのだが、これがとても楽しい。そして、結果的に、狭い密室から発信して、どこかはるか遠くまで届くような歌をうたえた時は、大きな充実感を感じるものだ。

よく考えてみると、人生を生きる上で大切なエッセンスが、歌うという行為には凝縮されているようにすら感じる。

2006/12/11


チャリティーライブの知らせ


ハリケーン後、すっかり日本ではニューオリンズ関連のニュースは聞かれなくなっているこのごろですが、まだまだ復興途上にあるというのが現実。
ニューオリンズ滞在中、アルバム「Brand-New Orleans」のレコーディングに参加していただいた方も含むミュージシャンらが、近々来日してライブを行います。ニューオリンズのためのチャリティー形式のライブです。ぜひぜひみなさん足をお運び下さい!

詳細はこちら→http://jazzhounds.blog.ocn.ne.jp/helpneworleans/

2006/12/06


ごぶさた日記


今日は早めに娘ちゃんが寝たので、久々に日記が書けます。
仕事をして、歌もうたって、お母さんをしていると、やはり一日が24時間ではとてもじゃないけど足りない。寝かしつけて、やっと親の時間が持てる時間になるとほっとしてどっと眠気が襲います。でもそんな中で今一番やりたいことである曲を作ったり、新聞を読んだり、お勉強したり、片付けものをしたり、とすべきことは続くのです。作った音楽は、きっとねむたそうな音楽になってしまうかもしれないし、お勉強の内容も途中から意識が薄れてしまうし、なかなかはかどることは望めませんが、ごくスローペースでも先に進むしかないのでしょう。

でも、なぜか娘ちゃんが眠ってほっとしながらも、寝てしまっていることが何となくつまらなくて、どことなく恋しくなってアルバムの写真をめくったりするのです。朝になって元気に起きてくる娘ちゃんがすでに楽しみでならないのです。頭がよかったり、優秀だったり、そんなのなにもなくてもいいから、元気な体で、心も元気で、日々が楽しく育ってくれたら、それだけでいいのだよなぁと思います。この切ない気持ちや願いは、恋とも愛とも違う、なんとも味わったことのなかった気持ち。それが世の親の心というものなのでしょうか。

34年間生きて、結婚して、出産して、子育てして、と一通り人の生涯というものを経験し通り過ぎているのだなと思います。その中で、生まれてくる人を迎える傍らで、若い友人の死と向き合わねばならない時もあります。長い時を共に過ごした友との死別という事実を突きつけられても、なかなか頭も体も事実を受け入れられないで混乱します。闘病の中で、彼女は自分が死ぬということを自覚する時間はあったのだろうか。人は死を自覚することなく、病勢に負けて亡くなったら、魂はどこに行けばいいのだろうか。答えは分からない分、彼女の死は、私に永続的な問いを残していくのだと思う。

2006/11/28


散歩


むすめちゃんにせがまれて散歩に出かける時は、できるだけ、むすめちゃんのペースで、危なくない限り行きたいところを自由に歩いてもらうようにしています。少し進んだかと思いきや、またくるっと振り返って反対側を歩いて戻り、普段歩く歩道よりも、建物の間の道無き細い道を行ったり、ただただ何段かの階段の昇り降りを飽くことなく繰り返したり。忙しい大人には無意味に見えるかもしれないこの繰り返しを、とても注意深く、真剣に、そして楽しんで行っています。普段大人の歩く早さ、目の高さでは気づかないようなことがたくさんそこには転がっているようです。大人になると、飛行機に乗って世界のどんなところにもひとっ飛び出来るようになって、視野が広がっていくようでいて、どうもごく身近に転がっている世界の面白さに目を向けるすべを忘れてしまうようです。今日は、歩き疲れて座り込んだ地面に秋の落ち葉のような色をしたカマキリがのっそり歩いていました。むすめちゃんは、とっても恐がって、この上なく恐ろしそうな顔をして指をさしながら後ずさり。また、マンホールの上を歩くと、「カタン」と音がするのが不思議のようで、何度も何度も往復し「カタン、カタン」を楽しみました。

2006/11/06


「Brand-New Orleans」


[最新アルバム「Brand-New Orleans」の情報がディスコグラフィーにありません]とご指摘を受けました。掲載を急がねばですね。ご指摘ありがとうございました。

初めての方に再度ご紹介いたします。3年間滞在したニューオリンズ。かの地がまだ元気だったころに、現地のミュージシャンと行った心温まるセッションの模様が収録されています。生音本来の美しさを忠実に再現したこのアルバム、私の一番の宝物です。是非御一聴を!詳細は下記より→
http://www.annsally.org/info/brandneworleans.html

2006/10/04


はじめの一歩


ほんの一ヶ月くらい前でしょうか。少しマイペースな娘ちゃんも最初の一歩を踏み出しはじめました。一歩がでるようになると、すぐに転んでは起き、転んでは起きという飽くなき作業が続き、今ではもう小走りするくらいまでに上手に。驚くほどの上達のスピード。大人には真似のできない熱心さです。慌てて靴を調達したところ、最初はとても履くのをいやがったので、外出先でもはだしで歩いていましたが、今では靴を履いて散歩することがとても楽しみのようで、履かせてといわんばかりに靴を差し出してせがんできたりもします。いっしょに外を歩いていると、娘ちゃんがふと立ち止まって空を見上げています。一羽の鳥がひゅーんと飛んで行きます。まっすぐに真剣に娘ちゃんは見つめています。心せわしない大人がもう目を留めることを忘れてしまった、些細だけど素敵なことを娘ちゃんは教えてくれるようです。

勤務を再開して以来、授乳の回数も徐々に減ったものの、どうも我がお乳はなかなか優秀のようで、せがまれればよくお乳が出ていました。最近、歩くようになり、食べる量も増えると、だんだんお乳の要りようも減ってきたようで、それにあわせそろそろお乳の出も減ってきたようです。授乳というのは母子にとっても本当に心やすまる時間ですよね。乳児にとっては他のどんなものよりも心の不安を取り除いてくれるものはお乳なのでしょうね。少しずつお乳から離れていく娘ちゃんを見ながら、さみしさと同時に、やはり自然はうまくできているのだなと実感し、成長の過程を見る喜びを感じています。

2006/10/04


韓国南部を訪れる


夏期休暇に、私の本籍地でありながら一度も行ったことのなかった、韓国の慶尚道を訪れた。娘ちゃんにとっては初の海外、だんなさんは初韓国だ。
私はソウルは過去に何度も訪れたが、慶尚道出身の祖父祖母の訛りのある韓国語を聞いて育ったためだろう、ソウルの旅でも南部訛りの韓国語を話す私はユニークがられたのか、たくさん友人ができたことがうれしかった。日本で生まれ育ち、小学校高学年まで日本の民族学校に通ったという以外、特に韓国語を正式に勉強したことはないのだが、アメリカ滞在中にも在米韓国人のお友達がいたのもあって、記憶が徐々によみがえっており、今回の旅でもいつの間にかすんなりと日常韓国語をしゃべる自分に少しおどろいた。だんなさんは、自分の知らない言葉をぺらぺらと話す私を見て目が「はてな」になっていた。

旅の前半はにぎやかな港町釜山で、後半は新羅の都であった慶州を旅した。たくさんお寺や古墳、博物館を周り、また地元の料理に舌鼓を打った。慶州は「サンパップ」という野菜の葉っぱにご飯やおかずを包んで食べる料理が有名で、20種類以上のおかずがずらーっと卓に並び圧巻だった。お腹ははちきれんばかりになるのだが、山菜や野菜中心でとても健康的なのだ。そして、何より今回の旅のメインは、街のあらゆる場所での地元の人々との交流であった。祖父母と同じ訛りの韓国語に懐かしさを覚え、情熱的で人懐っこく情の厚いキャラクターは、祖父母たちと共通したものだった。年配の方々が日本語を話せる率が高いことには悲しい歴史的背景を感じ、祖父母の人生の苦労とも重なりいつも悲しみを覚える。

私は日本で韓国人として生まれ育ったものの、いつも韓国の地を踏むたびに感じるのは、ここが祖国だという実感が薄いことだ。これはとてもさみしいことなのである。だからといって、日本では外国人と扱われ育ったので、日本を祖国と思う意識があるわけでもない。祖国という実在の場所を持たないで一生生きていくのが我々の宿命であり、だからこそ、いつも自分の心の中に、また家族の中に祖国に代わる安住の場所を求め、「歌」という誰にも奪い得ないものを追求して生きていくのだろうと改めて思う。

2006/09/23


ニューオリンズ あれから一年


今ツアーで来日しているリチャードさん、ジェラルド、フレディーロンゾさんに会いに行ってきました。去年末の「Brand New Orleansツアー」以来で、会ったとたんうれしさがこみ上げてきて、しっかり抱き合いました。みんな、大きくなった娘ちゃんを見てとても喜んでくれました。以前は娘ちゃんが一番好きで始終にこにこしていたジェラルドに今回は少し人見知りをしてしまい、なかなか笑顔が出ません。「僕がきみに借りたお金を返してないかのような顔だねー」と言うジェラルドに一同笑いました。

今日はハリケーンからちょうど一年という日。去年のちょうど今頃も、ツアーで来日しているところを会いに行って、いっしょにハリケーンが直撃しそうな状況を心配していたことを思い出します。まさか、その後こんなことになるなんて、メンバーのだれも予想していませんでした。今も、リチャードさん、ジェラルドはまだニューオリンズには戻れないままで、他の州でアパート暮らしを続けています。一年後ということでニューオリンズ関連のニュースが再びたくさん報道されており、それを見てはまた辛い記憶を蘇らせていたところだったようです。私たちが会いに行くことで少し気持ちが明るくなったよ、と言ってくれたのはとてもうれしかったけれど、少し涙さえ浮かべているのを見て胸が痛くなりました。リチャードさんは、私がよく歌った月曜日のDonna’sの楽しい日々を思い出すねーと、目を細めていました。メンバーの一部はまた冬にも来日するようなので、また遠くない将来に会えると思うとほっとします。ニューオリンズは元の姿とは大きく変わってしまったけれど、永遠に続くであろう友情を、かつてのニューオリンズは私にプレゼントしてくれたんだなと改めて気づきました。

2006/08/30



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